2022年のこと
年が明けた。今年は大晦日の20:00から、高松の憐庫で安土早紀子さんと工藤冬里さんのライブ『新しい挨拶』があり、なんやかんやで香川で年越しをした。
今年も宜しくお願い致します。
2022年についてざっくりまとめたものをTwitterでも投稿していて、
やっぱり詳しく書いたものも自分の記録用として欲しかった。
書いてみたら各月の日記っぽくなった。
とりあえず↓はTwitterでまとめていたもの
1月 人間
2月 なんで生きてるんですか?
3月 展示とうれしさ
4月 孤独
5月 東京とフリペ
6月 就活と島
7月 課題と卑屈とsideM
8月 健康志向とあらゆる締め切り
9月 コミティアと論文
10月 大人になるとは
11月 就活と表現活動について
12月 お疲れ様!まだ走れ
どんな年なんだよ~~
正直覚えているのが3月ぐらいからで、あとは9月からの印象が強い1年であったと思う。
1月 人間
2月 なんで生きているんですか?
おそらく展示準備であたふたしていた時期。でもその時期に仲良くなった後輩がいたりもして、その後輩の子の家で学校帰りに一緒にほっかほっか亭とか食べていた記憶がある。1月頭には友達が働いている岸和田カンカンベイサイドモールに遊びに行った。1月末にはサークルで凧揚げもした。2月は高松市立美術館でのパフォーマンスを観に行って、すごくよかった記憶がある。
3月 展示とうれしさ
ゼミの発表の一環で、学外で展示することが作品発表だった。岡山県内じゃなくてもよかったけど、なるべく岡山でやりたいなとは思ってて、結局津山にある喫茶曲がりというスペースで展示させてもらうことになる。
2021年から展示のことを考えていたけど、制作しているものはドローイングが多く、これでなにか成立するのかと不安になっていた。そのときのテーマとして、自分の身体について考えていたことがあって「not in」というドローイングや「デアマイ」というタイトルのキャンバスボードに描いていた作品を主軸に考えて、『not in ( ボーン )』という展示タイトルにすることを決めた。⇒ not in (ボーン)について
「not in (ボーン)」は、「日常生活の中で感じる不在感と、それでも存在しているということ」をテーマにしたものだ。不在感はアカデミックな制作活動やそうした環境に接する中で、「ここにいてはいけないんじゃないか」と思うようなことや、自分がそこにいないと思うような感覚。しかしそれでも、その場を認知している自分や、感じている風、音、見つめ、見つめられている事実について形になればいいと思った。というか、自分の作ったものはそうした自分自身という存在への期待や、そこで生き続けるための願いがあると思った。
最終日には成瀬さんと「遠くへ向かうもののためのダイアローグ」というタイトルのトークイベントも行なった。いろんなところから人が見に来てくれてすごくありがたかった。日曜日だけ在廊していたが、曲がりのひとと話したり、コーヒー飲んだり煙草吸ったり楽しかった。もう展示をすることは無いだろうなと思っていたけど、いざやってみたら次はこういうことがしたいな…と色々出てくる。3月半ばに大阪に帰り、京都のDOMAに行ったりもした。
4月 孤独
4月の旭川 |
孤独について考えていた時期だったのか。展示が終わったけど4月頭も津山に何度か行く機会があって、4月6日は所属している「人間文化クラブ」の設立日で、お花見をしたりした。この時期はPSYCHO-PASSのアニメをずっと観ていて、寝る前や授業の合間に最新の映画まで見終わった気がする。常守朱が最高だった。
展示が終わってからフリーペーパーをつくりはじめ、四月の終わりに『助走 vol.1』を発行した。
5月 東京とフリペ
GWのタイミングで東京に遊びに行こうと思った。丁度行きたい展示があり、大学に入ってから一度も行ったことが無かったため勢いよく岡山から東京へ行くバスに飛び乗った。夜行バスに乗る前にOFへ寄り道して、東京のおすすめを訊いた。1日目は神楽坂へ行って印刷博物館へ行き、惑星ザムザを観に行き、その後高円寺で赤屋さんと初めてお会いし、一緒に赤屋さんおすすめのカレー屋に行って不吉零二さんの展示を観に行った。そのあと国立へ移動してOFで教えてもらったコレノナに行き、赤屋さんと解散してから高校の友達の家に行きピザを食べた記憶がある。次の日には確か中野でタコシェに行ってから目黒ぐらいで海さんとお会いし、一緒にナカノさんの展示に行く。そのあと下北沢に行って、カレーを食べて中古のCDショップに行ってから解散し、夜行バスに乗って岡山へ帰っていった。高校の修学旅行以来行く機会が無かったため苦手意識がすこしあったが、中央線沿線の雰囲気は馴染みやすかった。街に対する解像度というか、ただ「見せられている感」が無くなった感覚がある。それは漫画とかZINEの影響が強い気がする。自分の好きな人たちはこういう街で生きているんだな~。
その後は会社説明会を受けたりしてバタバタしてたんだと思う。この月もフリーペーパー『助走 vol.2』を発行する。《街中遊泳鯉のぼり特集》だった。
6月 就活と島
月初めの方に海さんが岡山に遊びに来た。次のイベントに向けての資料として島に行きたかったようで、一緒に豊島に行くことになった。朝に集合、ながいひるに行ってからカレーを食べに行って、京橋近くでボーっとしてから岡山駅に向かい、宇野駅へ行く電車に乗った。船に乗る前に混沌(CONTON)へ行き、豊島へは夕方ついた。宿に向かう。私たちしか泊まっていなかった。次の日に豊島を一周する。海さんの好きな映画の舞台になった場面もあって、自転車を漕ぎながら写真を撮ったりする。
あとは就活をしていた。東京の方へ面接に行ったこともあったが、この時はほんと全部が体験版をプレイしているような感覚で、あまり自分事のように受け止めていなかった。そうじゃないと耐えられない感じもあった。
7月 課題と卑屈とsideM
課題がとにかく忙しかった。学内での展示や冊子を作る授業など、後回しにしていたものがこのタイミングでドカッとやってきた。課題は面白いのだが、いまいち自分のやりたいことと可視化したものが噛み合わず、作業時間や向き合い方の足りなさを感じる。周囲の軽やかさを見るたびに、自分の作ったものの、凝り固まってカッコつけたものが酷く滑稽に思えた。
半ばには誕生日があったりした。誕生日からの目標として「卑屈にならない」があったと思うが、実際あまり効果的ではなかったと思う。忙しい中で、癒しのようなものを探していて、なんとなく「アイドルマスターsideM」のアニメを見始める。Wの蒼井兄弟…!Jupiter…!サイスタもリリースされたばかりの時にDLしてすぐに辞めてしまってはいたが、この機会に再び始めた。あの時と今では315プロダクションのアイドル達に対する感じ方が変わっていて、このコンテンツは大人になってから身に染みるのではないかと思った。課題が思うように進まない中で、F-LAGSの「Made in ♪」を聴いて蹲って泣いた。
8月 健康志向とあらゆる締め切り
8月頭は集中講義で無人島に行って滞在制作をする。しかし、なんやら手続きが面倒なようで宿泊することは出来ず、朝に到着して夕方帰るのを3日間行なった。なんもない島で、他の人やただ流れていく時間を見つめながら作業をすることは落ち着いた気分になるし楽しかった。毎日晴天でよかったが、ほんとすごく暑かった。
お盆は知り合いの家に行ってお手伝いをする。ミントをもらって、窓際で育てていた。
コミティアが9月の初めにあるけど何も進んでおらず、なにも生み出せないこと、なにも描くことが自分にはないのだと落ち込んでいたりもする。本当にこのサークル参加が最初で最後だと思っていた。この時期は作業の合間にたまたま読んだ「神クズ☆アイドル」にハマり、丁度放送されていたアニメを見ていた。楽曲が本当に良く、アニメもシリーズ構成で原作とは違う展開で話が繋がったりもしたが面白かった。なぜかわからないけど、コミティアに向けて作業をしていた自分にとって「神クズ☆アイドル」の8話と9話があまりにも心地よかったようで、1日に何回も繰り返し観ていた。仁淀の無気力ながらも周囲のことを見つめて、それに無意識にでも応答している様が良かった。本当にわずかながらでも人間に対する解像度が上がっていく、仁淀の成長とそれが評価されるほどのそれまでの図太さを見ていると、不思議と気が抜けて、何故か勇気になっていた。仁淀と吉野くん、ZINGSというユニットは本当にすばらしいアイドルだ…。
9月 コミティアと論文
9月4日とうとうコミティア当日で、3日の夜に夜行バスに乗るために家を出た。もうその直前にフリーペーパーを書き終えたり、出発当日にプリンターのインクが無くなって朝買いに行ったり、いろいろと忙しなかったが、本を作れたことは嬉しかった。「土の中にはね…」というサークル名で、コミティア141に参加した。当日は黒澤さんに買い出しや設営に協力してもらった。
ビッグサイトはデカかった。スペースにいるとおそらくTwitterでみてくれたんだろうなというひとが来てくれたり、たまたま通りがかった人がドローイング集の方を買ってくださったりと、私も自主制作出版物が好きだけど、みんなも自主制作出版物が好きなんだと思って、それが嬉しかった。今回のコミティアはJ庭と合同開催で、空いた時間にJ庭の方へも遊びに行った。hitujiさんのスペースで、現在連載されている漫画やhitujiさんの漫画がとても好きであるというような話をしているとだんだん涙が出てきて大変だった。hitujiさんはちいかわのティッシュをくれた。黒澤さんとジョナサンで打ち上げをした。ホテルでは買った漫画を読んでぐしゃぐしゃに泣いていた。あらゆる人間の、自主的に制作されたものがあまりにも美しくて耐えられなかった。次の日は、確か国立新美術館で李禹煥の展示を見てから、高円寺で海さんと待ち合わせをして、商店街の先にある喫茶店に行ってから、開店したての蟹ブックスに行った。そのあと高校の友達と合流して三人でラム肉を食べに行って、私は夜行バスで岡山に帰った。高速バスはほんと出発ギリギリに到着したことを覚えている。
コミティアが終わってからは論文の締め切りに向けて大疾走だった。記憶があまり無い。スケジュール帳を見ても思い出せない。sideMの「千客万来ニーハオサァカス」と、Jupiterの「恋をはじめよう」をずっと聴いていた気がする。
10月 大人になるとは
論文をなんとか提出し、解放を感じたのも束の間で、すぐに大学のファッションショーに出す用のハーフパンツを制作しなければならなかった。8月に作り終えていたジャケットと合わせるものだった。KogaMoaiさんの楽曲のイラスト制作もして、完成したMVを見た。自分の絵がニコニコ動画で流れているのが不思議だった。「ディノ」という楽曲で、はじめて聴いたときにイメージしたクリエイターとして生きる者のどうしようもない葛藤や性のようなものは、自分の制作とも結びついた。デジタルでの制作はもう少し作業環境を整えるべきだなとも思う。それが終わったら就活を再開した。あとは10月末に参加することにしていたイベントのことをずっと考えていた。一瞬だけ大阪に帰っていた。その時は服部緑地公園の植物園に行ってから、会社の説明会に行った。論文を提出してから、自分の身体やスケジュールのスピード感を掴みやすくなった気がする。この時期は自分の臆病さが目に付いて嫌な気分がずっと続いていた。閉塞感。
11月 就活と表現活動について
就活はまだ続くが、卒業制作展関連で色々とやることが増えた。赤屋さんが岡山に来ていて、夜に少しお会いしてご飯を食べたりしたのが楽しかった。
坂本慎太郎のライブがあるから一度大阪へ帰ったりもしたけど、ライブ自体は一か月先に延期になった。淀川沿いを歩いたりもした。あとは成瀬さんのパフォーマンスの衣装の手伝いのために編み物をしたり、話をしたりした。ゼミの作業も何もかも進みづらくて、漠然と忙しくて、でもなんか楽しいこともあって、意味が解らなかった。来年の抱負は「しなやかにかわす」と焚火で決定した。11月後半には内定の連絡が届き、無事に就活が終了した。
12月 お疲れ様!まだ走れ
とんでもなく寒い日から始まった。知り合いの写真の展示に行ったり、高校で同じ彫刻選択で卒業制作していた同級生と3年ぶりに会って回転寿司を食べに行ったり、『遊星』に載せる文章を書いていたりしていつの間にか12月半ばになっていた。ゼミが全然進まなかった。10月に提出した論文の試験があるため大阪に帰った。その2日後には延期していた坂本慎太郎のライブもあったため丁度良かった。坂本慎太郎のライブはすごくよかった。終わってからも色々課題や卒展の業務が忙しかった。なにも考えたくなかったけど、楽しいことや人と会う予定がその先々にあるから生きていけた気もする。来年の5月コミティアに出ようかなと思っていて、それに向けて漫画のプロットを捏ねていたりと、なんやかんや楽しさを生み出すのが得意だよなとか思う。自分の制作行為がなんのためなのかわからなくなるけど、とりあえずつくりたいものを作って、書きたいことを書いていって、その助走パワーでなにかまた新しいところに行ければいいんじゃないかなとか思う。来年はいい年になるいいなと思いながら冷たい足を電気毛布に突っ込んだ。
全体的に暗くね…?となったけど、別にそこまで深刻ではない。
考えることは多いのに考える頭が思考停止しがちで、己の身を奮い立たせるのに必死だったけどなんやかんや自分に甘いですからね。2022年は自主制作出版物とアイドルマスターsideMだったかも。全部を網羅できたわけではないため、また追記があるかもしれない。
2023年の生存も、誰に監視されているわけでもないので緊張しないでね!
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